伝統校の強さ?劣勢でも逆転してしまう常連校ってどこが違うの?

甲子園の出場することでもすごいことなのに、その甲子園にほぼ毎年出場してくる高校がありますね。各県に必ず強い常連校があり、この県はこの高校というのもありますよね。

伝統校の強さは、ネームバリューだけではないのです

こういった高校は、伝統の強さだけでは済まされないものを持っているのです。では、どういったところが違ってくるのでしょうか?

例えば、野球の練習風景だけ見ても違いが分かります。伝統校は、練習の時間が短く、その中で無駄な動きがありません。ダラダラと練習している風景がないいのです。そして、選手全員が、次の行動でどのようにすればいいのかを分かっています。準備から入り、練習の終わりまで、全ての行動が共有されていて、動きに迷いがないのです。

こういったことは、日常生活にも表れてきます。日常生活でも、無駄な時間を持っていません。休み時間も設けるのは設けていますが、時間が決まっており、休み時間が終われば、直ぐに次の行動に移るのです。そういった行動が、試合の劣勢時でも、冷静に自分の状況を判断でき、相手の心理を読みこなせる所以なのです。

野球というスポーツは、野球だけ上手くても勝てません。その中には勝負があり、勝負で勝てる精神力を併せ持っていないと、野球では勝てないのです。そこが、甲子園に出てくる高校とそうでない高校の違いが出てくるのです。

常連校ともなると、このことが、先輩から後輩へと受け繋がれ、また、伝統として残っていくのです。常連校の選手たちは、全ての場面において、自分の行動すべきことを認識しています。次になにをやるのかをはっきりと分かっているため、勝負強く劣勢になっても、逆転できる精神力が整っているのです。

今夏の甲子園でも大逆転の試合がありましたね。相手側に1回に8点を取られ劣勢に立たされましたが、冷静な試合展開で、終盤になり、同点に追いつき、延長戦で逆転し、勝利をものにしました。こういった精神力な、選手一人ひとりが場面設定ができており、その通りに動けるように練習を重ねていると言っていいのです。伝統校というのは、伝統校だから強いというわけではなく、このように、状況判断ができる選手を教育し、伝統を作り上げているから強いのです。

監督のチーム作りで、結果が全然違うのです

またそういったチームを作り上げる監督の手腕も見逃すことはできないでしょう。監督は、名物監督と言われるように、毎年選手が違っても、一定の成績を残してきます。プロ注目の選手を要していれば、勝って当たり前というところもありますが、そうではない年でも、必ず甲子園に出場し、好成績を残してくれます。今年の大阪桐蔭は、甲子園で優勝しましたが、特筆した選手はいませんでした。そこ中での優勝は、監督のチームづくりの手腕が、長けていたということを意味していたのです。

試合展開の劣勢からの逆転する軌跡をみてみても面白い発見があるのもです。特に伝統校には、監督との連携もタイミングよくなされていますので、注力してみてみると、甲子園の鑑賞方法が、また一層面白くなってくるのです。

ユニフォームでみる強さがあります。伝統校の圧力がここにあり

ユニフォームをみたただけで、相手を威圧してしまう高校もありますね。そういった高校をここでは紹介していこうと思います。

まずは、最近は大阪桐蔭のユニフォームでしょうか。甲子園での勝率も抜群の成績を残しています。大阪を制する者は、全国を制すると言った言葉もあります。トップクラスの激戦区を制して甲子園に出場する高校は、やはり迫力が違いますね。私の青春時代は、そのユニフォームは、PL学園でした。桑田、清原や、立浪、野村、片岡、橋本と、4人もプロへ進んだ時代のPL学園は凄まじいものでした。ここも大阪代表。PL学園の時代がまた来るのかも期待が持てます。

関東に目をやると、縦縞の帝京高校が威圧感がありますね。帝京高校の選手は、練習はもとより、食事面も徹底的に管理されると聞きます。その中での、鍛え上げられた肉体にあのユニフォームをきて出てくるのです。迫力満点ですね。そして、松坂投手も出身で、プロ野球選手も数多い高校といえば、横浜高校ですね。胸に大きく「YOKOHAMA」とかかれたユニフォームを見ただけで心が躍ります。

最近では、智辯学園や智弁和歌山のユニフォームも、威圧感がありますね。この両チームは、智辯学園は、奈良県。智弁和歌山は、和歌山県と別れてはいますが、系列が同じの兄弟高校です。両校ともに甲子園に出場ともなると、同じユニフォームが甲子園を彩り、テレビに映る頻度も多くなってくるのです。その宣伝効果は大きなものであるに違いありません。

それを考えると今年の夏の甲子園は、東海大系列の高校が多く出場していました。あの縦縞のユニフォームを見ることが多く、東海大系の強さが目につきました。系列行動しの対戦はなかったものの、印象深い甲子園でしたね。兄弟校での統一されたユニフォームも迫力があっていいですね。また、各県の強豪も、特徴あるユニフォームで湧かせてくれます。松井選手がいた、石川県の星稜高校もクリーム系の色をしたユニフォームで特徴がありました。

選手が変わってもユニフォームは変わりません。伝統のあるユニフォームは、今来ている選手のものだけではなく、代々受け継がれてきた先輩たちやそして、今後、着るであろう後輩たちに向けてのユニフォームでもあるのです。その伝統を受け継いでのプレーは、一時でも気を抜けないのです。そして、ユニフォームを着たからには、絶対に負けられないのです。この気持ちこそが、ユニフォームで勝つと言われる所以なのです。選手の気持ちをも変えることができる伝統のユニフォームは、想像を超越した力を持っていると言えるのです。

最近ですと、ピンストライプのユニフォームでニューヨークヤンキースとそっくりなユニフォームと登場してますね。静岡県の常葉菊川高校は、このヤンキースと似たユニフォームで、春の甲子園の優勝経験もある強豪となりました。今後も、どんなユニフォームが新しい歴史を刻み、伝説を作ってくれるのか、楽しみでなりません。

結構います!プロで活躍する甲子園選手。伝説選手を教えましょう

甲子園で注目して、プロで活躍している選手も多いですね。甲子園で活躍した投手で、プロで活躍するのは難しいという通説もありますが、やはり、甲子園で培った自信はプロに行っても、自分に自信を持たせることに大切な経験となっていることでしょう。そして私たち、観る側も甲子園で活躍した選手はプロ野球でも活躍して欲しいという願望もおりますよね。

なんといってもこの人でしょう。東北の星ですね

私は、東北人ですので、プロ野球はなんといっても東北楽天を応援しています。そうなると歴史を変えた、欠かせない選手が思い浮かびますよね。そうです、田中将大投手です。ドラフト会議で彼を引き当てた時には、本当に楽天に来てるれるのか心配になったものですが、彼は迷いもせず、東北楽天にお世話になりたいと言ってくれました。大変好感が持てる選手だなあと思ったものです。田中投手は、2年生で、甲子園優勝。そして3年時は、春の甲子園は不祥事で辞退し、最後のチャンスで、甲子園に乗り込んできました。当然世間は、連覇を期待するのですが、そこに立ちはだかったのが、ハンカチ王子の齋藤佑樹投手でした。近年ですと、この二人の決勝戦が思い浮かびます。

そして、私が幼少時の時は、甲子園が最も盛り上がっていた時代だと思っています。今のように情報収集がような時代でしたので、実力のある選手が、そのまま県大会を制し、甲子園にやってくるような時代でした。横浜高校を初優勝に導いた愛甲猛投手は、ロッテに入団し、バッターとして、ロッテ、中日で活躍しました。その決勝戦の相手が、1年生ピッチャー、荒木大輔を要する早稲田実業でした。そして、荒木が3年になり、優勝候補として乗り込んだ甲子園で、世代交代の引導を渡したのが、池田高校の2年生、水野選手でした。荒木投手からホームランをうち、その時は、決勝も制し、優勝しましたね。水野選手は、巨人で貴重な中継ぎ投手として活躍しましたね。その時の池田高校のエースは、畠山準投手で、南海(現在ソフトバンク)や横浜で活躍しましたね。その間は、報告学園の金村投手が、甲子園で優勝投手になっています。金村選手も、近鉄や西武でバッターとして活躍しましたね。

なんといっても強烈な印象を残したのは、池田高校の水野投手が3年生になった時です。この時に準決勝は、前評判はそんなに高くなかったPL学園でした。桑田、清原が1年生の時です。なんと、そのPL学園が大差をつけて池田高校を破ってしまったのです。1年生の桑田は、その試合、完封し、ホームランも打つという大活躍でした。ここから、PL学園の黄金時代が続くのです。

残酷なまでの勝負の軌跡。でもここでドラマが生まれるのです

こういった世代交代を甲子園ではまざまざと見せつけてくれました。筋書きのないドラマとはよく言われますが、この時代の甲子園は、まさに劇的でした。そして、出場選手にも、プロで活躍する選手がすごく多かったのです。

今後も、こういった世代が出てくるでしょう。松坂世代や、ハンカチ世代、藤波、大谷世代とも最近ではいわれ、みんな活躍してますね。今後も、甲子園球児からからプロ野球で活躍してくれることを期待せずにはいられないのです。

歴代名勝負をお教えしましょう!これぞ高校野球の醍醐味です

私は今、39歳ですが、甲子園での名勝負は、心に深く刻んでいます。なんといっても、桑田、清原を要するPL学園の試合は、印象に痛烈に残っています。私の幼少期の憧れのチームだったのは間違いありません。

私の出身、秋田県の名勝負とは?

その中で、桑田、清原が高校2年の夏は、秋田県人にとっても、思い出深いものとなりました。

対戦は、甲子園の準決勝になります。この年は、秋田県の金足農業高校が、甲子園初出場を果たした年でした。金農旋風は続き、甲子園では、あれよあれよという間に、準決勝までコマを進めていたのです。そして、相手は、PL学園。後にプロ野球に入っても大活躍をする桑田、清原という2人を要していました。

そこに波乱の試合展開が待っていたのです。試合は、2対1で、金足農業のリードで、8回裏のPLの攻撃まで進んでいました。金足農業は先行だたっため、この回を乗り切れば、勝利がグンと近づきます。秋田県にとっても大快挙となります。

そこで、ランナー1人をだして、桑田が打席に入りました。ここで初球のカーブ。今までこのカーブにはタイミングが合わず、全て打ち取られていた、自信のあるカーブでした。

桑田は強振し、打球はレフトスタントポール際へ。審判の判定は、ホームランでした。でも、このホームランは、ポール際ということもあり、ファールという説もありました。秋田県内では、幻のホームランといういわくつきの試合となったのです。惜しくも、2対3で、PL学園に負けてしまいましたが、秋田県に残る名勝負となったのです。

伝統校同士の決勝戦の魅力

甲子園は、こういった名勝負が多々繰り広げられています。最近は、熊本工業対松山商業ちう伝統校同士の決勝戦も印象的です。
松山商業の監督が、9回の土壇場、一打逆転の場面で、ライトの選手を変えました。見ているこちら側からすると、ライトだけをなんで変えたのか、わからない状況でした。しかし、次の瞬間、その理由が明確となるのです。

ピッチャーの投げたボールをバッターが強振。その打球は、ライトへと飛んでいったのです。しかし、タッチアップでランナーが帰るとサヨナラ負けという場面です。その試合は、変わったばかりのライトの選手のバックフォームのプレーに託されました。

思いっきり遠投し、そのバックフォームはキャッチャーミットへ。送球は上の方でしたが、キャッチャーがうまくタッチし、タッチアウトとなったのです。変わったばかりの選手のバックフォームには度肝をぬまれました。そして、預言者のごとく、ライトの選手だけを変え、そこに打球が飛んだという現実には、鳥肌がたったことを覚えています。
松山商業は、このプレーいき、優勝しました。この試合も、心に残る名勝負でしたね。

プロ野球からの注目選手が多く集まる甲子園大会ですが、そうでない選手が、きめ細かい野球で勝ち進むチームも魅力があるものです。今年の大会は特にそうでした。大阪桐蔭と決勝を戦ったのは、三重高校。そして、敦賀気比高校や、健大高崎、日本文理高校等のチームが上位に進みましたが、いずれも、プロ野球注目選手というよりは、大学や社会人を経験してから注目できる選手が多かった印象です。でも、そういったチームから、プロで活躍する選手が現れると、「あの時の、あの選手か」ということになり、感慨深いものがあるのです。こういった年の甲子園もまた、魅力的になのです。

沖縄県の善戦。歴史が語るもの

私は、沖縄県の代表の試合を見るのが好きなんです。なぜか異国情緒がただよい、なんとも言えない空間が沖縄県代表の試合には流れるのです。数年前には、八重山商工という、沖縄県でも離島にある高校が甲子園で大活躍しました。その高校が注目を浴びている時も、おおらかな沖縄県の県民性と、野性味あふれるプレーも感じられ、私は一気に沖縄県代表のファンとなったのです。

歴史を紐解くと高校野球のこともよくわかるんです

沖縄の高校野球は、沖縄本土が、アメリカ占領時にまで遡ります。そう、沖縄県は、日本で結一、地上線が行われ、沢山の尊い命の戦争によって奪われました。そして、アメリカに占領され、アメリカ国となり、日本へいくにはパソポートが必要ということまでなりました。その沖縄県代表が、戦後甲子園に出場するのは、特別枠で、1958年に首里高校が出場しています。その出場から、半世紀以上がたち、沖縄県は、野球強豪県の一つとして数えられるようになりました。沖縄が、日本へ返還されたのは、1972年です。戦後苦しい状況下に置かれた沖縄県ですが、こういった反骨精神が今の沖縄県を支えているといっていいのです。このことを知らずして、沖縄の高校野球も語ることができません。

沖縄県の強豪校といえば、私の時代ですと沖縄水産が強豪でした。栽監督といった名物監督がおり、2年連速で夏の甲子園準優勝をした時もありました。九州共立大学から、巨人に進んだ大野倫もその時の教え子で、巨人では主にバッター、強肩の外野手として活躍しましたね。

また、最近では、興南高校や、沖縄尚学高校が強豪となってきており、春、夏の甲子園でも、優勝するようになりましたね。今年は、沖縄尚学が好投手を要して、甲子園の土を踏みました。私としては衝撃的だったのは、沖縄水産から、九州共立大へ進み、ダイエー(現在のソフトバンク)で1位指名をうけた、新垣渚投手が印象に残っています。彼は、松坂世代と言われる中の一人で、甲子園でも150K台をたたき出していました。190cmを超える長身とで、松坂投手より将来性が豊かではないかともいわれていました。その彼もベテランの域に達しており、今年は、ヤクルトに移籍し、再起を図っていますね。

だからやめられない、沖縄県代表に釘付けです

こういった時代を反映しながら沖縄県の高校野球も進化してきました。遡れが、琉球王国の時代もあり、独自の文化をもっている沖縄県。戦時中は、日本唯一の激戦区になり、地上戦が行われました。観光地として、暖かく、コバルトブリーの海が頭に浮かびますが、それだけではない、沖縄の歴史が深く刻まれているのです。そこのことを私たちは忘れてはいけません。そして、高校野球です。あの独特の応援もあり、沖縄県代表の応援をするのは、とても興奮するものです。

来年からはどんな選手が飛び出してくるのか、沖縄県の球児には、目を離せないのです。

平等化してきた力関係。今後の甲子園展望を教えましょう

今年の甲子園大会は、北信越の高校が大活躍しました。特に、新潟県や、福井県の代表が大活躍しましたね。最近では、青森県代表が、2年連続で夏の甲子園の決勝にコマを進めました。岩手県も、西武の菊池投手や日ハムの大谷投手を輩出し、強豪県へと上りつめています。

近年は、その地域格差もなくなり、甲子園での大差での試合も、なくなってきている印象です。その要因はなんでしょうか。掘り下げて見てみましょう。

近代野球がここにあります。高校生のレベル向上の訳

私の幼少期は、雪国の東北地方と、関東や関西の高校では、大きな力の差があり、なかなか勝ち進めない状況でした。冬場は、雪に閉ざされて練習もままなりません。冬季の間に、打撃練習や、守備練習が、雪のないグランドでできるというのは、これぼ度までに差ができるものかと思ってしまいました。

また、野球に対する情熱も違いました。東北人特有のおとなしく、お人好しの性格は、勝負事に対しては、マイナスに作用してしまいます。そこでもまた、いざ勝負となったとき、気後れをして、大差の試合展開となってしまっていたのです。

しかし、昨今では状況が一変しました。野球設備の充実もあり、冬季間でも、野球の練習が続けられるようになったのです。室内練習場も、私立の高校はもとより、県立の強豪校にも設備されるようになりました。そして、一年中、土の上で練習ができるようになったのです。特にバッティング技術は、飛躍的に上達しました。今の高校生は140K程度の速球ですと簡単に打ち返すことができます。そして、変化球も、バッティングマシーンでも対応できるようになり、打ち込みも可能となっているのです。力の差が段々と縮まっている背景には、この、練習環境の変化が一番影響しているといえるのです。

野球留学で、及ぼす影響とは

そして、野球留学のことにも触れておくべきでしょう。強豪私立高校には、他県の選手も多く在籍しています。硬式野球を扱う、ボーイズリーグ出身で実績を上げている選手は、色々な高校からのスカウティングを受け、待遇や、設備が整った高校を選択して進学をするのです。まさにプロ野球と同じようなことが、中学生を相手に高校でも行われているのです。昨今、実績を上げている青森県の高校も、基本的には関西出身の選手が多いです。関西出身の選手は、まずは甲子園に出場して、自分を売り込もうと思っているので、出場できるチャンスが大きい県を選んで、高校に進学するのです。青森県は、地元の子供たちだけでは、おおらかすぎるので、この関西出身の選手を血をいれて、勝負師としての気持ちを植え付けようとしたのです。最近になりそれがようやく実績として残るようになりました。青森県も強豪県の一つとして数え上げられるようになっています。

こういったことは、宮城県や山形県、岩手県でも同じようなことがいえます。東北地区の大会をみても、そうそうたる県の代表が集まりますが、地元出身中学をみてみると、地元の選手がなかなか出てこないことがわかります。特待生の問題で、数年前よりは、地元優先になってきていますが、地域差をなくした選手とスカウティングはいまでも続いているのです。

練習設備の改善と、選手のスカウティングが融合し、今では、甲子園優勝もどの県にも可能性が出来きていると言っていいのです。

やんちゃ坊主が元気です。注目の選手も多く楽しみな関西地方代表

関西圏の代表をみてみると、大型選手が多いのがわかりますね。プロで活躍している選手も関西系の選手が多いのではないでしょうか。特に近年は大阪桐蔭の選手が目覚しい躍進を遂げています。西武のホームランバッター中村選手、その後輩の浅村選手や、ルーキーの森捕手。阪神の西岡選手と藤波投手といった面々。また、高校通算90本以上ものホームラン記録を引き下げてプロ入りした、日ハムの中田翔選手も、大阪桐蔭高校出身です。関西の選手の色というものがありますが、ここで名前を上げた選手の特色も共通している部分がありますよね。

関西の選手のスケールの大きさがここにあります

PL学園や、兵庫の育英高校、奈良の智辯学園や天理高校といった数々の名門校が名を連ねます。こんな関西の高校ですが、選手を見てみても特徴のある選手が多いですね。

俺が俺がという選手が多く、負けん気が強く、根性で戦っている印象があります。それは、なかなか東京、関東の高校生には感じることができない部分ですね。根っからの反骨精神が、ここ甲子園で活きているといえるのです。関西人特有のこの反骨精神はどこから生まれるのでしょうか?

関東地方に対する負けじ根性もあると思います。また、プロ野球も多く存在します。阪神や、中日(愛知県ですが・・・)広島(広島ですが・・・)オリックスがありますね。こちらも在京球団に負けない実力を持っている球団ですね。そういった環境が、選手を育ているといっていいでしょう。

印象深いのは、やはり関西の選手達なのです

私が印象深いのは、上宮高校の元木選手が印象深いです。巨人でも曲者として活躍しましたが、高校時代からその片鱗を見せつけていました。狙いすました大ぶりのホームランや、ピッチャーフライで、ファーストに走らなかったりと、やんちゃぶりが際立っていましたね。ショートを守っていましたが、その強肩はあるものの、足を全然使わずにファーストでアウトにしてしまうような守備をしていて、「なんなんだこの選手は?」と衝撃を受けたのを覚えています。でも、こんなやんちゃな選手が、関西っぽくて私は好きなのです。関東だったら、こういう態度は直ぐに辞めさせられるし、抑圧されて自由にプレーができなくなってしまうでしょう。上宮高校の監督の懐の深さをしったもの、はっきりと覚えているのでした。そして今に通じるのは、大阪桐蔭高校でしょう。選手一人一人が個性的で、見るものを魅了します。元気あふれるプレーは、見るものを元気付けます。そして、なにより、人間味溢れる監督がとても魅力的なのです。

関西圏の甲子園での戦歴は、圧倒的な勝率を誇っています。甲子園大会での1回戦や1回戦では、県予選の準決勝、決勝の方が厳しい戦いだと聞きます。こういった関西圏の野球も、関東とは違った魅力を持っているのです。恐るべし関西圏。東北出身の私は、立ち遅れてしまうのです。

洗練された野球がここにあります。スマート集団の関東野球

関東の高校野球をみてみると、やはり名門ぞろいですね。東京では、帝京高校や早稲田実業などがありますね。北関東をみても、群馬県や、栃木県、茨城県でも強い高校が多くあります。また、全国一の激戦区神奈川県は、あの横浜高校や、東海大相模高校といったマンモス校が顔を揃えます。

関東の実力校。そうそうたる顔ぶれですね

洗練されて、スマートな野球するといった印象が、東京代表を含めて、関東の高校野球には印象が強いのです。甲子園でのプレーを見ても大人っぽい野球をしますね。ただ、意外と淡白な印象も受け、甲子園での優勝となると、ビックネームが揃う、神奈川や、東京ではなく、関東県でも地方の方が優勝している印象もあるのです。去年は、群馬県の代表が優勝しましたものね。

千葉県や埼玉県でも必ずプロ注目の選手を要して甲子園へ出場してきますね。特に、千葉県は、力と力のぶつかり合いがメインの県であり、それを魅力と感じて、中学生も千葉県を選ぶ傾向があると聞きます。

関東地区の野球のレベルは相当高いものといえます。

練習を見ても強さが伺えるエピソードをひとつ紹介しましょう。関東一高という野球の名門に遠征で行った時のことです。スクイズの練習をしている選手をみてびっくりしたのを思えています。通常バットは、横に構えて、バントのようにスクイズをするのですが、関東一高は違いました。バットを縦にして、顔の前でボールに当てるのです。こういった練習を見たのは始めてで、強豪校との違いを、まざまざと見せつけられた瞬間でした。

この影響は、やはりプロ野球球団も在京球団が多く、身近に感じられることが多いのではないでしょうか?
セ・リーグでは、ジャイアンツを筆頭に、ヤクルトスワローズや横浜。そして、パリーグは西武ライオンズや、千葉ロッテがありますね。そういった球団の試合がいつも間近で見ることができるのです。この環境は大きいでしょう。

歴史から見てみる関東の強豪校

古くは、東京の早稲田実業出身の王貞治さんや、千葉県出身で佐倉第一高校から、立教大学へ進み、スター街道を真っ先にかけあがった長嶋茂雄さんも、関東出身でしたね。今では、ハンカチ王子こと斎藤佑樹投手や、楽天のスーパールーキー松井投手なども、関東出身で、今後が期待されますね。

関東の洗練された野球は、こういった歴史がものをいっているんでしょう。いつも平常心で試合をこなす関東の高校生たちは、肝が座っており、都会っ子のイメージが強いです。野球を頭を使ったスポーツと捉え、汗臭い臭いを感じさせません。それがいいか悪いかは別として、こういった関東地区の野球をみるのも大変面白く、興味が沸くのです。

私は、大学が、千葉にある大学だったのです。千葉の高校野球にも触れてきました。県予選でも、ベスト16ぐらいになると、秋田県の優勝チームよりもはるかにレベルは高い野球をしています。こういった高校がひしめく中でもまれている高校球児ですので、甲子園でも自信をもってプレーができるのでしょう。

甲子園は県代表であり、負けてしまった高校の思いまで受け継いで戦っているということも知っておくともっと奥深い甲子園大会の観戦が出来るのはずなのです。

頑張れ、東北のチーム。力差均衡の訳

私の出身は秋田県になります。例年秋田県代表は、弱小チームと言われ、甲子園ではなかなか勝てない状況が続いています。それには、東北人気質も少なからず感じられ、甲子園出場がゴールであり、甲子園で勝つというところまでの目標設定がなされていないことが要因と考えられます。

地元の選手にこだわる県もあるのですが・・・

秋田県の弱体化は、そしてもう一つあります。他県から特に、関西の中学生を受け入れていないというもの弱体化してきた要因でしょう。伝統のある私立高校がなく、公立高校が主である秋田県は、特殊ではありますが、地元の高校生で全国と戦うことに主眼をおいています。

ただ、他の5県をみてみると、状況は一変します。先ずは、10数年前までは、甲子園ではなかなか勝てなかった青森県がいまでは、全国有数の野球の強い県となっています。これは、八戸光星学院と、青森山田高校が牽引しています。両学校とも、関西地区からの中学生を受け入れ、他県の血を入れて成功しています。最近では、夏、春、夏の甲子園で、3期連続で決勝までいった八戸光星学院が印象深いでしょう。

そして岩手県でも同じようなことが言えます。他県の選手を中心にチーム作りを行ってきています。ただ、1つ違う高校は花巻東高校というところです。基本的には、岩手県内出身の選手が中心です。西武ライオンズの菊池雄星や、日本ハムの大谷投手の出身高校でありますが、彼らも岩手県の地元の子供たちです。中学校からのリトルやボーイズリーグといったところからの底上げが成功している県と言えるでしょう。

そして、山形県は、日大山形や東海大山形が昔から強いチームでした。最近では、酒田南や、山形中央、羽黒高校なども全国的に結果を残していますね。特に、羽黒高校にはブラジルからの留学生もおり、国際色豊かな高校となっています。

福島県は、断トツな強さが際立つ聖光学院がありますね。今年を入れて7年連続で、夏の甲子園に出場しているチームです。ここも、他県出身の選手もいるのですが、近県の東北地区の中学生をうけいれるのが多いようです。宮城県出身の選手も多く、そこ上げを行っている高校です。その他には、日大東北や、学法石川高校が強いです。比較的関東が近いため、福島県の有望選手は、関東圏の学校に進学する選手もいるようです。特殊な位置づけの福島県ですが、聖光学院のおかげて、全国でも戦える県として知名度を上げていますね。

他県を圧倒する宮城県。全国優勝にも一番近いでしょう

そして、なんといっても強豪なのは、宮城県です。仙台育英と東北高校は、宮城県だけではなく、東北地区全体のあこがれの高校です。我が秋田でも、中学の県大会を制した中学生は、秋田県に留まらず、宮城県へ野球留学してしまいます。ここまで、中学生を惹きつける高校は、仙台育英と東北高校でなければ成し得ないでしょう。また、甲子園の優勝にも一番近い県といえるのです。仙台育英は、現在ヤクルトすアローズに在籍している、佐藤投手や、巨人の若手新生、橋本選手を輩出しています。東北高校は言わずとしれたダルビッシュ投手、その2つ上の先輩は、ヤクルトで、バッターで飛躍した高井選手がいます。プロ野球でも一流選手を輩出する仙台育英と東北高校は飛び抜けた存在といえるのです。

一緒に応援。ノリのいい応援がたくさんあります!

甲子園には、応援を楽しむといった楽しみ方もありますね、今回は、よく使用されている応援歌を紹介していきたいと思います。

ノリのいいヒット曲が多く有り、楽しむことができるんです

最新のものですと、アナと雪の女王の「Let it go」でしょうか。また、アニメ主題歌や、あまちゃんのテーマ曲を多く耳にしますね。私の年代ですと、タッチのテーマ曲や、ルパンのテーマ曲なんかが多かったような気がしますね。また、今も昔も普遍的な曲としては、学園天国や、宇宙戦艦ヤマトのテーマ曲等がありますね。今も昔も変わらないのが、甲子園の応援歌は、いつもで聞いているものをやる気にさせてくれますね。私も、受験で勉強しなくてはならなかった時期もありましたが、真夏の甲子園の応援を聞きながらも、べん勉強をしていた記憶があります。同年代が一生懸命にプレーしたり、応援をしている姿をみて、私もやる気になっていたのです。いまでも、甲子園の応援歌を聞くとその頃のことが思い浮かび、感慨にふけってしまうのです。

この応援の効果というものは、計り知れないものだと私は思っています。選手の気持ちを高ぶらせたり、または、落ち着かせたり、応援によって選手を操ることもできるのです。また、相手方にエールを送るのもいい光景です。エール交換をして、検討を称えることも応援をしている醍醐味となりますね。

甲子園のアルプススタンドでは、一緒に応援することもできます。中には、その高校のファンというだけで、ブラスバンドに入り、自前の楽器で、一緒に演奏をしたりする強者もいるくらいです。そこ高校とは、縁もゆかりもなくても、応援団は、心広く迎え入れてくれます。自分自身で好感がもてる試合をいつもしてくれる高校は、一緒に応援もしたくなりますよね。そう行った時は、チャンスがあれば、一緒に応援してみたらいいのです。なかなか甲子園まで足を運べない人も多いと思いますが、テレビでも十分応援はできるので、一緒に一喜一憂してみてはいかがでしょうか。

ましてや、自分の母校や、在学校が、甲子園にで良いものなら、応援のテンションも相当あがります。私も在学時にアルプスでの応援経験がありますが、ここが甲子園かあと、大きな感動が押し寄せてきたことを思い出します。できれば、プレーをしたかったのですが、それは叶いませんでした。

校歌も聞いてみてください。新しい発見がそこにはあります

強豪校になれば、定番の応援歌もありますね。また、その中でも校歌も、各高校によって違い、興味が湧きます。伝統校は重みのある校歌が主ですし、男子校だったりすると、歌詞の内容も男子校らしいものとなっています。しかし、昨今は、その効果にも変化が見られます。

今年の夏は、健大高崎高校という群馬県の高校の校歌が話題になりました。曲調が大変ポップで、英語の詩も出てきています。聞いたところによると、作詞は、冬杜花代子花代子さん(2003年に亡くなられているようです)、作曲は、坂田晃一さんという、どちらもその世界でも有名な方のようです。こういった校歌も聞くことだできるのが、応援をしていると特権のように思えてきます。応援歌もその学校の特色を表しています。テレビでも耳を傾けて応援してみるのもいいでしょう。