勝てばいいのか?甲子園大会の本当の意義は?

毎年繰り広げられる夏の甲子園大会。各県代表が、力の限り全力でプレーをするのは、とても爽やかで、胸を打ちますね。

甲子園大会の本質とはどういったのもなんでしょうか?

丁度、みなさんお盆の時期に重なるため、実家や故郷で、地元の高校を応援する人も多いのではないでしょうか?感情移入しやすく、もらい泣きなんかもしてしまいますね。なんといっても、この私も、秋田県出身の高校球児でした。高校2年のときは、運良く県大会を勝ち進み、甲子園に出場することもできたんです。

でも、その中での一抹の違和感を感じる時があります。それは、選手たちが地元の出身でない場合があるのです。公立高校を見ているとこういった傾向は少ないのですが、私立ともなると、他県出身者が、選手としてプレーしていることが多いのです。私の地元の東北地区でみると最近の青森県や、岩手県の代表を見てみても、大阪第2代表とまでいわれていますね。私はそのことに一抹の寂しさと、違和感を感じずにはいられないのです。実は、甲子園常連校が、地元で愛されている高校かというとそうでもないことも多いのです。

そこでいうと、我が秋田県。毎年、秋田県内の選手だけで甲子園に望む県の一つです。有名私立もないので、秋田県内の予選も、毎年予想不可能な、戦国時代が続いています。それが、見るものをアツくさせるのです。秋田県代表は、秋田県出身の、地元っ子でなくては、感情移入ができないではありませんか。しかし、今では、秋田県は、各代表校の中も、最弱県というレッテルを貼られることが多くなってきました。秋田県内の有望選手も、宮城や青森へ流出していく始末です。

これでは、甲子園の意義自体が揺らいでしまいます。なんの代表なのか?私の地元愛はどこへ向かえばいいのでしょうか?監督さんに、聞きたいくらいです。近年は、秋田県も他県の選手を集めて、野球王国秋田の復権を狙っているようです。他県からのアドバイザーも収集し、各監督とも、ミーティングも頻繁に行われていると聞きます。でも、気持ちは痛いくらいに分かるのですが、甲子園に勝つために、周りの流れに乗ってしまったような気がしてます。秋田県の良さが、失われてしまうようで残念でなりません。

公立高校で、地元っ子の選手が、活躍することが、どんなに勇気づけてくれるかをもう一度、考えてもたいたいのです。私のように、就職して他県に出ているものは、特にそうです。他県からの寄せ集めの県代表は、楽しみが半減してしまします。

甲子園がもたらすアドバンテージとは?

甲子園で、勝ち進めば、進学や就職にも大きなアドバンテージをもたらしてくれます。選手にとっては、甲子園にでるか、でないかでは、将来像に大きな差が生まれてくるのです。私もそうでした。高校2年の時、先輩たちが県大会優勝したため、進学も有名大学にほとんどの3年生が受かりました。しかし、私が3年になった年は、残念ながら、県大会で負けてしまいました。そして私は、2浪をして大学へ行くこととなたのです。

選手たちの将来が、全く違ってくるのは、100も承知です。でも、それだけではなく、甲子園の本当の意義をもう一度、原点に立って考えて欲しいのです。野球を続けるのはひと握りの選手です。その中でも、プロにいって活躍する選手は、ほんの数パーセントであるということを忘れてはいけません。本質的に何が大切なのかを見極める時期に来ていると感じるのです。