教育の場としての高校野球か?内情を把握してからの甲子園とは?

甲子園大会のイメージとしては、みなさんはどういったものを思い浮かべますか?さわやかナインが、汗と泥にまみれて全力を尽くして戦うといったような、青春真っ盛りといった印象を持っているでしょうか?

競争主義の高校野球がここにはあるのです

しかし、高校野球は、競争の場でもあり、そんな、生易しいものでもないということも知っておかなくてはなりません。対戦相手ともそうですが、部内でも熾烈なレギュラー争いが繰り広げられています。同じ部内でも、中学時代から実績を上げてきている選手は、A組となり、いわゆる1軍に入りますが、他の大多数は、2軍、3軍となり、3年間1度も試合に出られないという選手も大部分でいるということを知っておく必要があるでしょう。その中で、生き残ってきている選手が、甲子園でプレーし、プロ野球への進んでいくのです。

それを考えると、きれい事だげの世界ではないということがあります。一般的な学校の先生ですと、教育の場として、部活動を考え、礼儀や、フェアプレーの大切さを教えることを優先するでしょう。でも、こういった注目度の高い、甲子園大会がある高校野球に至っては、きれい事をいっていては、勝ち上がれなく、レギュラーにもなることも難しいといえるのです。

オレがオレがでプレーできないとレギュラーにはなれません。他人を気持ちを考えてしまうような「いい人」では、勝負事にはマイナスに作用してしまうのです。

しかし、一歩社会に足を踏み出してみると、今度は、競争社会が待っており、高校野球の考え方が通常となっていることに気付くでしょう。高校野球の監督には、学校の先生だけではありません。私立ともなると、先生ではなく、社会人経験者を専任として採用する場合も多いです。そこには、学校教育としての概念はないといえるのです。

甲子園の大会とは、マスコミはさわやかな高校生という先入観で取材をし、放送します。しかし、その内情は、高校生の時から、一般社会人と同じような世界で、レギュラー争いをしてきている選手といえるのです。彼らは、勝負の世界で生きでいる、立派な勝負師といえます。逆にそういった選手でなければ、甲子園に出場し、大学や社会人、ましてプロ野球で活躍していくことは、到底難しいといえるのです。

いいも悪いも社会の縮図がここにあるのです

テレビを見ていても、感じることがあります。画面から伝わる選手の性格の違いを見ているだけでも、興味深いのです。レギュラーでも、礼儀知らずの態度のでかい選手は数多くいます。ふてぶてしく、高校生か?と疑いたくなる選手もいるようです。かつて、プロ野球まで進み、一流選手として活躍した選手は、すごく生意気だったと聞きます。でも、そういった選手でないと、勝負の世界では生き残れないということがいえるのです。

礼儀正しく、好青年の選手も多くいますが、甲子園に出てくる選手は、個性的で、やんちゃな選手をみるのも楽しみですし、そこからの人間としての成長をみるのも、楽しみの一つといえるのです。